“Global Leader Story“ vol.20 石坂 誠

LinkedIn Japan パートナービジネス統括&ストラテジスト

日本で生まれ育ちながらも、グローバルな仕事環境で大活躍するリーダーの軌跡とマインドを発信するグローバルリーダー・ストーリー。

20回目のグローバルリーダーは、日本マイクロソフトを経て、米国マイクロソフト本社で8年以上にわたり戦略・マーケティング・営業領域を担い、現在はLinkedIn Japanでパートナービジネス統括と、戦略を担当する石坂誠氏。日本生まれ日本育ち。早稲田大学時代には二度の起業を経験し、NECに入社。米国MBA留学を経て、日本マイクロソフト、米国マイクロソフト本社、LinkedIn Japanと、常に自らの可能性を広げながらキャリアを築いてきた。(2026年5月時点)

外資系企業への憧れから始まったキャリアは、やがて「日本発のグローバル企業や、世界で活躍する人材を輩出したい」という強い思いへと変わっていく。非ネイティブな英語や圧倒的な実力差に打ちのめされながらも、なぜ米国本社で生き残ることができたのか。日本人としてグローバル本社で働くリアルについて話を聞いた。

 

学生結婚を経て、二度の学生起業。
新規事業を立ち上げる経験を積む

幼少期に海外との大きな接点があったわけではない。両親がクリスチャンだったので、日曜日に教会へ通い、海外から来た宣教師と接する機会が少しあった程度という海外とそこまで縁のない環境で育った。小学校高学年の時、父の会社が倒産し、東京都品川区という大都会から群馬県赤城村へ移住という厳しい時もあったが、高校から早稲田大学の付属校へ進学した。

進学した早稲田大学時代には二度の起業を経験している。ただ、自分から「起業したい」と強く思ったわけではなく、どちらかというと、周囲から声をかけられて始まった形だ。1回目は、父が始めたリサイクルトナー事業だった。当時、日本ではまだ珍しかったトナーカートリッジのリサイクルを、小さなアパートの一室から始めた。父が工場側を担当し、自分は営業を担当。家族総出でゼロから事業を立ち上げていった。

二回目は、義兄と始めた家庭教師派遣事業。大学3年生の夏、自分は学生結婚をしているのだが、義兄から「家庭教師業界の構造を変えたい」と声をかけられたのは、ちょうどその頃だった。当時の家庭教師業界は中抜きが激しく、保護者が高い料金を払っても、実際に教師へ支払われる金額は少ない。家庭教師や塾講師を数年経験し、同じような違和感を持っていた自分は、「もっと教師に還元できる仕組みを作りたい」という考えに強く共感した。

 

外資系企業に憧れながら、40社も落ちた就職活動

学生時代から、大前研一氏(当時世界トップ戦略コンサルティングファームでアジアのリーダーであり、ビジネス本も数冊出版し、一部学生では有名になっていた)の影響で外資系企業への憧れが強かった。「これからはIT、ファイナンス、ロジカルシンキング、そしてグローバルの時代だ」。そんな力強いメッセージに触れ、外資系コンサルや外資金融の世界に対し「かっこいい」と純粋に憧れていた。

だが、現実は甘くなかった。

就職活動では、最初に40社ほど受けて全滅。外資系コンサル、外資金融、外資メーカーなど。片っ端から受けたが、TOEICの点数も十分ではなく、ことごとく落ちた。そんな中、内定を獲得できた企業の一つがNECだった。

今振り返ると、このNECでの経験は本当に大きかったと思う。

自分は法律学部出身で、ITの知識はほぼゼロだった。だが、日系企業特有の丁寧な新人研修のおかげで、ITの基礎を徹底的に学ぶことができた。営業現場も経験し、お客様対応のノウハウや感覚も身についた。後になって、マーケティングの仕事をするようになると、いかに「営業の気持ちが分かる」ということが大きな武器になったかということを痛感する。BtoBの世界では、営業とマーケティングがうまく連携できるかどうかが非常に重要だからだ。

 

妻と子どもを連れて米国MBA留学。
人生を変えた義父の言葉

NECでの仕事は楽しかった。営業成績も良く、同期の中でもトップクラスの成果を出していた。報奨旅行でタイ、マレーシア、シンガポールにも行かせてもらった。だから会社をやめてまでMBA留学する必要性はそこまで強く感じていなかった。そんな自分の背中を押したのが義父だった。

「このままだとあなたの人生は会社の言いなりになる。つまり社畜になってしまう。自分でキャリアを選ぶことができる、広い視野でビジネスが見れるように、絶対に海外へMBA留学しなさい」

義父は社員1,500人ほどの企業の経営者だった。「もし帰国後に仕事がなければ、自分の会社を継げばいい」とまで言ってくれた。そこまで言ってくれるなら、挑戦してみよう。そう思い、妻と幼い子どもを連れて米国ユタ州にあるBYUへMBA留学することを決めた。

授業料はフルスカラーシップだったから、経済的な負担は最小限に抑えることができた。留学中にボストン・キャリア・フォーラムに参加し、日本マイクロソフトからオファーを受ける。

実は、その採用理由の一つが「NEC出身だったこと」だった。当時、日本マイクロソフトはNECとのパートナー戦略を強化しており、「NECの営業の現場感覚が分かる人材」を探していたのである。

 

米国本社で知った「世界のレベル」、
自分の英語では、まったく通用しない

日本マイクロソフトでは、まずはサーバー製品のプロダクトマーケティングを担当し、その後オープンソース関連の新規プロジェクトを担当した。当時、Windowsを主戦場としていたマイクロソフトにとって、Linuxやオープンソースは“真逆”とも言える領域だった。その新規プロジェクトを通じて、グローバルチームとの接点が一気に増えていった。

そんな時、日本マイクロソフト内で「グローバル・タレント・プログラム」が始まる。選抜された社員を、3ヶ月間、米国本社へ武者修行に送る制度だった。上司から「応募してみたら?」と言われ、軽い気持ちで手を挙げたところ、選考を通過。シアトル本社へ行くことになった。

この経験が、自分の価値観を大きく変える。まず衝撃だったのは、マイクロソフトという会社の巨大さだった。日本法人にいた時、自分は「マイクロソフトを知っている」と思っていた。だが、本社でやっていることを目の当たりにした時、日本で見えていたものは、全体の5%程度に過ぎなかったのだと痛感した。

実際に本社で働き始めると、「未来を自分たちが作る」と本気で信じている同僚の意識レベルの高さに圧倒された。それに負けないほど、自分の「思い」もより一層熱いものへと昇華したのだが、語学力の未熟さを痛感する。相手が何を言っているかは、なんとなく分かるものの、本当に深いレベルで理解できている自信がない。当初は“分かっているようで、分かっていない”、そんな歯がゆい状態だった。


「お客様の声が本社に届いていない」という悔しさが原動力

さらに、本社に3か月間滞在している間に米国本社で貢献したいという思いが強くなる。最大の理由は、日本市場のお客様の声が、本社のエンジニアチームへまったく届いていないと気づいたからだった。

当時担当していたAzureのLinuxやオープンソースソフトウェア関連サービスでは、日本のお客様から数多くの改善要望を受けていた。自分はその声を本社へ送り続けていたが、実際に本社に行って製品を開発しているエンジニアチームと話してみると、エンジニア側にはほとんど認識されていなかった。

「そんな話、知らないよ」

本社でそう言われた時、かなりショックを受けた。だが同時に、だったら、自分が本社で働く担当者の近くに張り付き、日本からの改善要望を自分の口で直接伝えるしかないと思うようになった。日本市場のお客様の声を、ちゃんと製品改善につなげたい。その思いが、本社勤務を目指す原動力になっていったのだと思う。

ちょうどそのタイミングで本社のカウンターパート側のポジションが空く。さらに、日本法人時代にゼロから立ち上げていたプロジェクト群も本社側から評価され、「グローバルでもやってみないか」と声をかけてもらうようになった。正式な選考を経て、2013年、米国マイクロソフト本社勤務が決まった。

 

日本人がほとんどいないマーケティング・戦略部門で戦う

エンジニアとして本社に行く日本人は少なくない。だが、マーケティングや戦略領域となると話は別だった。エンジニアはコードという武器で勝負できる。だが、マーケティングは言葉とコミュニケーションの世界だ。圧倒的な英語力が必要だから、日本人にはハードルが高いのだ。

だから当時、本社マーケティング部門にいた日本人は、ほとんどいなかった。周りには米国の一流大学のビジネススクールを卒業したような秀才、各国のトップスクールや誰もが知る企業出身のエリートが山ほどいる。真正面から対峙したら、自分に勝ち目などない。そこでまず取り組んだのが、誰もやりたがらないことをすること。世界中のデータを見て傾向を分析し、提案する。言葉ではなく数字で示せる領域で、差別化を図った。日本にいた時は自分が数学に強いなど、まったく思ったことはなかったが、日本の初等・中等教育の中で身につけた数字へのセンスは世界を舞台に戦えるレベルのもので、百戦錬磨の同僚たちも圧倒されるものだった。

そして、地頭や語学力のハンディキャップを言い訳にせず、8年間ポジティブに本社で働けたのは、「自分には営業やパートナー、お客様の現場の声を吸い上げて、それをビジョンとして組織に伝えられる」という自負だったように感じる。また、英語がネイティブではない各国のマーケティングマネージャの気持ちを理解し、寄り添う姿勢も次第に受け入れられていった。最終的には、世界中のマイクロソフト支社約100名のMicrosoft Azureのプロダクトマーケティングマネージャーを統括するポジションを担った。

2014年にはサティア・ナデラ氏がマイクロソフト社のCEOに就任し、彼の改革のど真ん中で共に仕事するという幸運にも恵まれた。マイクロソフトのカルチャーが根底から変わり、改革への道を進んでいく中で、チームとして売り上げがなんと毎月30%成長するような歴史的な快挙にも立ち会うことができた。6年後には担当するクラウドさーびの売上は年間1兆円を超えて、Windowsを超えていた。一つの大きな達成を果たし、2021年、日本への帰国を決断した。

自分だけではなく、家族全員の幸せを考えた末での日本への帰国だった。後ろ髪を引かれる思いも正直あったものの、最終的には「家族が第一」という原理原則に返った形になる。それでも常に自分の気持ちをポジティブに保つことで、マイクロソフトの日本法人で次は何をしようか?という自分に対する期待も膨らんでいった。帰国してからは通常の仕事をしながら、裏アジェンダとして米国本社のマイクロソフトで働きたいという希望を持つ若い人材をサポートする企画を立ち上げるなど、日本法人と本社のパイプ役としての活動にも携わる。そんな日々を送る中、次の職場となるLinkedIn Japanとの接点が生まれてくる。マイクロソフトの本社に戻るという選択があったものの、2024年にはLinkedIn Japanに転職。現在はチャネル販売パートナー向けの戦略や営業を担当する傍ら、特殊プロジェクトの立ち上げにも携わりながら、日本におけるLinkedInのユーザー数の拡大とエコシステム構築に取り組んでいる。





グローバルで働く上で必要なのは
「生きがいフレームワークの最大化」

自分がキャリアを通して大事にしてきたのは、「生きがいフレームワークの最大化」だと思っている。好きなこと、得意なこと、そして世の中から必要とされていること、その重なる領域に集中することが大切だと感じている。そもそも好きじゃないと続かないし、得意じゃないと世界では評価されない。だからこそ、自分の強みを発揮できる場所で勝負する必要がある。自分の場合、それがクラウドとオープンソースの領域であり、市場が大きく伸びるタイミングと自分のキャリアが重なったことは本当にラッキーだった。

英語についても、最初から話せたわけではない。実はTOEICは400点台、法律学部出身でITも分からなかった。それでも、自分の強みを磨き続けた結果、マイクロソフト本社で一兆円規模のビジネスに関わることができた。こんな私でもできた。だから日本にはまだまだ世界で活躍できる人材がいると本気で思っている。必要なのは、繋がりとチャンス、そして挑戦するアクション。その一歩を踏み出せる人が増えてほしいと願っている。日本人や日本企業にとってこれらを実現するために助けとなる一つのツールがLinkedInだと信じて日々生きている。

【文】黒田順子(2026年5月執筆)






Aun Communication のコメント:

石坂氏のストーリーから感じたのは、人をグローバルへ連れていくのは「環境」ではなく「意思」なのだということ。英語が得意だったわけでも、最初から特別なキャリアを歩んでいたわけでもない。それでも、自分の強みを磨き、「日本のお客様の声を本社へ届けたい」という強い想いを原動力に、世界最高峰の環境へ飛び込み続けた姿が印象的だった。グローバルで活躍するために大切なのは、“自分にしか出せない価値”を見つけ、それを磨き続けることなのだろう。





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